装いにおける保守性の追求

 保守的な装い、いわゆるコンサバファッション。私はそれを万人受けするファッションだと解釈している。なかなか哲学的だと思いませんか? 

見た目を整えるということ

 

どうしてそんなに体にものを飾りつけることに熱心なのかと聞かれたら、私はこう答えておくだろう。

「得だから。」

というか私の行動原理は全てこれに帰結する。損得の基準は私独自のものだけど、合理主義という便利で語感のカッコイイ言葉を知った頃には割と本気で数式を立てられないかと考えていた。

 

 

飾り付けるのが得。

理由その1

趣味だから、楽しい。趣味活動が充実すると生活が豊かになる。単純にオシャレするのが好きで、この気持ちだけだったら他人には自分の格好や印象についてどう思われても構わなかっただろう。

 

理由その2

実益。外見がいいと周りの扱いが全く違う。人は見た目より中身だよなんて言葉を聞いたことがあるけど、人間の中身はそんな単純じゃない。中身を理解してもらうまでにかかる時間が考えられていない。生きていく中でたくさんの人と"出会う"けど、会話時間累計が半日に満たないような人が大多数だ。日常のちょっとした実益が私の効率的な人生を支えている。

 

理由その3

買い物が大好きだから。多分買い物依存症の3歩手前くらい。買い物が生きがいのうちのナンバーワン。買い物をする理由になって得だ。ちゃんとした目的があるから買い物をより楽しめる。

 

 

 

こんな感じです。

ちょっとはてなっぽいブログ書いてみました。

タイトルと本文で言い回しが違うじゃないかと、例えばこういうのが私の損得計算なんです。

結構痛い感じのことを書いてるけど、まだ若いし…(笑) それにこんな自分も嫌いじゃないんですよね(笑)

でも実益の享受のためっていうのはとても合理的ですよ。化粧などのオシャレを始めて、あるときから見ず知らずの人が以前より優しく接してくれるようになったときの衝撃は忘れられない。

自意識過剰かもしれないけど、私はそう思ったから。最初から可愛い人にはわからないかもしれないけど。特に男の女に対する外見至上主義はひどいね。自覚が弱いところが特に。(笑)

 

ちょっとネット巡回しててセンチメンタルな気分になったので、こんなに連続して書く気はなかったけどブログを投稿しました。

ネットにはたくさんの言葉があふれていて、 そういうのを見ていたら誰かにすがりたくなるんです。誰かは私の求めるものをもっているんじゃないかと思ってしまう。人と交わりたいのは人間の動物的な本能だろうか